<イースター島編>
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<イースター島編>
サンチアゴに到着した後は、市内でブラブラしてから空港に向かい、南海の陸の孤島「イースター島」へと向かいました。サンチアゴ発7/12の18:00でイースター島着は同日22:00でした。
夜遅いので宿探しが大変だと思っていたのですが、サンチアゴの空港でイースター島の宿の関係者(宿の主人の息子)に声をかけられ、説明を聞いてみると、料金も申し分なかったのでその宿に泊まるということで予約を入れてしまいました。
イースター島に到着してみると空港は大勢の人で溢れており、宿泊施設のカウンターも、ロビーに10軒ほど軒を連ねており、何もサンチアゴで決める必要などなかったようです。まあ、よく考えてみればこのような状況も納得です。それもそのはずこの国は観光で成り立っているのですから…。
何はともあれ、自分の名前を記入したプラカードを持っていた係員の元に行き、他の客の勧誘が終わるのを待って一緒に他の宿泊客と共に宿へと向かいました。その時に日本人男性のマサと出会いました。
マサも1人旅をしており、私と同様にサンチアゴの空港で、宿の息子さんに予約をしたそうなのですが、その時に聞いた話しでは「シングル部屋を用意する」と言っていたそうなのですが、宿に着いてみると「シングル部屋が足りないので、今日だけはツインの部屋に一緒に泊まってくれ」と言われてしまいました。
その時にマサが宿のおばさんとやりとりをしたのですがスペイン語で堂々とやりとりをしており、最後にはおばさんがさじを投げた形となりました。とはいうものの、結局は私とマサとで一緒にツインの部屋に泊まったのですが…
マサから後で聞いた話だと、なんと初めての海外旅行らしく、エクアドルから入国してスペイン語学校で少し勉強をしていたという話しでした。(ただし1ヶ月ぐらい)そして、その後に旅を始めてベネズエラのカナイマ国立公園のエンジェルフォールを見に行った後でチリに来たそうです。(陸路ではなく飛行機を利用、陸路の場合だとコロンビアの治安の情勢が最悪らしく、現地で知り合った友人にも「コロンビアは通らずに飛行機でチリに行け」と言われたそうです)そしてチリの後はサンチアゴから日本に帰ると言っていました。
しかし初旅行が南米とは思い切った奴だと思いました(ちなみに年齢は22歳でした)そのマサと1泊だけは同じ部屋に泊まってお互いの旅話などをして2泊目からは別々の部屋に泊まりました。夜の食事は一緒にとって、昼間の行動は別々に取るというスタイルで動いていました。
私もマサもイースター島に4泊5日のスケジュールで来ました。イースター島に渡るには、チリのサンチアゴからの飛行機か、タヒチからの飛行機を利用しなければ来ることができません。便数もそれほど多くなく閑散期には周2便、繁忙期には周3便が基本のようです。
島内の交通手段はいくつかあるのですが、私は車だけは(レンタカー)は極力避けようと思い初日(7/13)は徒歩で様子を見ることにしました。初日のポイントは町から比較的近距離のアフ・タハイ、アフ・アキビ、オロンゴでした。
早朝よりスタートしたのですが思った以上に距離がありスコールなどにも襲われてしまったために、途中で車に乗せてもらって移動したりしました。(いわゆるヒッチハイク)そして何とか予定の場所を回ることができたのですが帰りは夜遅くなってしまい、マサに遅れたことを詫びて一緒に夕食をとりました。
その日マサは自分とは別のエリアを自転車で回っていたため、お互いの情報交換をしました。マサの情報によると、私が明日行こうと思っていたところも、どうやら車を借りなくとも回れそうです。(海岸沿いの道は風が強くてかなりきついようですが…)
またこの島ではダイビングをすることも最大の目的だったのですが、今朝ダイビングショップに行って確認してみると風が強いのでボートダイビングは無理だと言われました、そのため明日か、明後日に期待することにして今日は徒歩で観光に出かけたのです。
翌日も早朝に散歩がてら海岸沿いのダイビングショップに寄ってみたのですが、やはり風が強すぎるとのことだったので、今日は島の残りの部分をレンタサイクルで回ることにしました。
自転車で海岸沿いをゆっくりと走り抜けていくのは気持ちのいいものです。おまけに周りにはモアイ像が転がっているのですから…途中のモアイ像で記念撮影をしたりしてモアイ製造工場とされるラノ・ララクに到着しました。この付近は約390体のモアイがある1番のメインイベントともいえる場所でした。
モアイは凝灰岩で作られていて、アフ(祭壇)が内陸に向かっていたためにモアイも内陸に向くように立てられていたようです。この地では石切場からまだ完全に切り離されていないモアイなどが残っており、作業途中で放棄されたような形跡が残っています。それと共にこの島からなぜ人が全て消えてしまったのかが、今をもって謎とされているのです。
ラノ・ララクには本当にたくさんのモアイが無秩序に転がっています。中には正座しているモアイや乳房のあるモアイなどもあります。
ラノ・ララクの丘の頂上まで登って反対側を眺めてみるとすぐ手前に火口跡があり今ではそこに水がたたえられています。(湖ではなく湿地帯のような状態)
オロンゴという地もそうなのですがどうやらこの島はかつて噴火の影響を多分に受けたようです。
ラノ・ララクの後はすぐ近くにあるアフ・トンガリキのモアイ像を見に行きました。ここでは海岸沿いに15体のモアイ像が並んでいて、倒れたモアイを立てるのに、日本から運ばれてきた「TADANO」社製のクレーンがその性能をいかんなく発揮していました。
その横にはプカオ(頭の上に載せるまげのこと)がいつ載せてくれるのかと出番を待っている状態で転がっていました。
そして帰りは島の中央のよく整備された道を通って全速力で帰ってきました。それはマサとの夕焼けを見に行く約束があったからです。
夕焼けは町から歩いてすぐのアフ・タハイで見ました。夕刻になると自然に大勢の人が集まってきましたが、残念ながらその日も含めて滞在中の全ての日に完全な夕焼けを見ることはできませんでした。
その日の夜にマサとの会話の中で「モアイとは何か?」について討論をしました。そして2人の間で出た答えは「日本でいうお地蔵様と同じものではないか」、というものでした。モアイを作って五穀豊穣や戦争での勝利を祈ったりしていたのではないかということです。確かにエジプトのピラミッドとメキシコのピラミッドのように遠く離れた場所でも同じ様な考え方の元で建築物が造られていたりするのですから、それも納得です。それが2人で出した答えでした。
そしていよいよ島内観光が終わってダイビングをする日となりました。早朝いつものようにダイビングショップに寄ってみると「今日は行こう!ただしビーチダイビングだ」という答えでした。
そうです結局3日間共に風が強かったのでボートダイビングは諦めたのです。ビーチでもボートでも潜れるのだからよしとしよう、ということで朝食を取ってからショップの車で島の反対側にあるビーチポイント(オバヘビーチ)に向かいました。
残念ながら海中の様子は目を見張るとまではいきませんでしたが白砂に覆われたビーチは2日間かけて島内をかけずり回った自分にとっては一服の清涼剤になりました。
その夜にマサとの最後の晩餐を楽しみながら、ダイビングショップでもらったポストカードを見せて“あまり知られていないイースター島の本当の不思議”を説明してあげました。そのポストカードにはあるダイビングポイントに沈んでいるモアイが写っていたのです。
ショップの人の話によるとそのポイントだけにモアイが沈んでいて、しかもちゃんと立った状態で沈んでおり、おまけに水深が30m以深とかなり深い位置にあるという不思議だらけのモアイ像なのです。…その場所は天候の影響をもろに受けるポイントらしく1年のうちでもあまり潜ることのできない場所であるらしい…地盤沈下等であれば、確かに他のモアイも沈んでいても良さそうなのであるが、1体だけというのが不思議な点です。
その話しをしたらマサは、「なぜモアイができたか」よりも、その「海に沈んだモアイ像」の方が不思議であると興味を示してきました。それはまた私とマサとの間で永遠の謎となることでしょう。
イースター島での別世界を体験した私とマサは7/16の11:30イースター島発の飛行機でサンチアゴに帰ってきました。そして町の食堂で2人最後の夕食をとってからお互いに別れました。
マサは翌日に日本に帰ることになっていましたし、私もサンチアゴ到着の日の翌日(7/17)にはすぐにアンデス山脈を越えてアルゼンチンのブエノスアイレスへと向かう予定でした。
第2部 イースター島編
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